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楽運寺イラスト

慶長十五年、三河上宮寺第十五世教祐師(1586〜1663)により三河上宮寺を本寺として江戸四ツ谷に「龍善寺」を、紀州に「専養寺」を、そして尾張名古屋の八重町(現在、中区栄錦三丁目)に通所として「祐西坊」を開かれました。 この「祐西坊」がのちの楽運寺であります。 当寺の山号を太子山と申すのは、本寺上宮寺より将来された聖徳太子御自作と伝える「聖徳太子二歳木立像」に因むとみられます。 第二代住職に迎えられました良因師(1682没)の実母は大谷派第十三代宣如上人の第五女小那姫殿でありました。 かくして御本山より正式に寺号の下附を得ましたのが寛文十一年(1671年)6月28日のことであります。 この寺号のいわれは開基教祐師は徳川家康公に侍し時に公子等の御相手を勤め、源敬公の覚えめでたかったとのことであり、御茶事御相手の砌り、「楽ニ運ブ」という意でつけられたといいます。また、『金鱗九十九之塵』には、「幸楽し運ぶ三文字を以、寺号と取立候寺刹也」と伝えられております。 元禄六年第4世住職良雲師(1697没)と時に現在の大須4丁目に移転しました。 昭和20年3月18日の本土大空襲によってよって当寺は建物・宝物などすべて全焼。現本堂は昭和23年に建てられました。 翌年3月15日、愛知県岡崎市大樹寺より恵心僧都作と伝える阿弥陀如来像を迎えて本尊とし安置されました。昭和29年には当寺の墓地を名古屋市都市復旧計画により千種区平和公園に移転されました。 2011年12月12日楽運寺創建四百年記念法要厳修。現在十五世住職。



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